Tuissは、英国発のオーダーメイドブラインド・カーテンのブランドとして、日本の暮らしに根ざした空間づくりに携わってきました。このたび、京都で京からかみを製造・販売される山崎商店とのコラボレーションが実現し、からかみの文様を用いたロールスクリーン・ローマンシェード・カーテンを発売しました。
発売にあたり、からかみ文様が紡いできた伝統や価値を紐解くため、代表の山﨑公資さんにお話を伺いました。今回の記事では、からかみの歴史とデザインに込められた意味について紹介します。
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Toggle千年をつなぐ、模様の物語
山崎商店は、京都御所や京都府庁にほど近い室町通沿いにあります。近くには大丸ヴィラなど明治・大正期の洋館と町家が混在する、和と洋の歴史が重なり合うエリアです。工房の中に入ると和紙の落ち着いた香りが漂い、壁には松や桐、大波など様々な柄が刷られた紙が並んでいます。これが「からかみ(唐紙)」です。目にすることはあっても、その名前も由来も知らないまま過ごしてきた方が多いのではないでしょうか。

遣唐使が運んだ紙が、京都で花開くまで
からかみの歴史は、遣唐使の時代にまで遡ります。中国が「唐」の時代、活発な交易によって装飾を施した美しい紙が日本にもたらされました。平安貴族はこれを「料紙」として、詩歌や和歌をしたためるための特別な素材として珍重しました。
ところがやがて国交が途絶え、輸入紙は手に入らなくなります。それでもからかみの需要は消えませんでした。そこで京都の職人たちは手元にある素材と技術を駆使しながら、独自の唐紙を作り続けます。
その中心地となったのが、京都上京区の紙屋川流域です。朝廷の御用紙を漉く「紙屋院」が置かれ、この地で国産からかみの技術が育まれていきました。最初は輸入品を手本にしながら作られていた紙も、時代を重ねるにつれて日本独自の美意識を帯びていきます。
転換点となったのは江戸時代、本阿弥光悦や尾形光琳に代表される「琳派」の登場です。光悦が京都北郊の鷹峯に築いた芸術村には絵師や職人が集い、日本固有の意匠と美意識を持つからかみへと昇華していきました。
「本当の意味での日本オリジナルの柄は、琳派からこっちだと思うんです。それまでは中国を手本にしながら、ちょっとずつ図案が変わって種類も増えてきた感じ。変化しながら積み重なってきたものが、今のからかみなんです」
この時代に確立された意匠は、現在も生き続けています。山崎商店には大正元年の見本帳が残されており、その柄の多くは今なお作られているものと変わりません。「復刻に復刻を重ねてずっときている業界なんです」という言葉の通り、千年をつなぐ継承が静かに続いています。
柄に込められた意味
からかみの模様は「吉祥紋様」がほとんどで、それぞれに縁起を担ぐ意味を持っています。松は「極寒にも緑を絶やさない」として長寿や不屈の象徴。桐は鳳凰が宿る木とされ、「優れた王が生まれると鳳凰がやってくる」という古来の言い伝えから、高貴さと慶事の象徴として皇室や公家に愛されてきました。梅は冬の寒さに耐え、春に先駆けて凛と咲く姿が逆境の中の美徳として詩歌に詠まれ、柄として刻み続けられてきたのです。
「獅子の丸という柄があります」と山﨑さんは1枚のデザインを手に取ります。「ライオンを意匠化した柄で、邪気払いの意味を持っています。西洋の館の玄関にあるライオンの門飾りと同じ意味合いで、東本願寺など格式あるお寺の襖にもよく使われてきた柄なんです。」
古くからのお寺やお屋敷では、その家・その寺だけの版木を誂え、代々同じ柄で唐紙を作り直す慣習がありました。
「30年後に張り替えようとなったとき、また同じ柄を使うのがお屋敷の場合はほぼほぼそういう感じでした。その家の柄として代々引き継がれていくんです」
柄はただの装飾ではなく、その空間を守り続ける意志の形でもあったのです。
大阪・船場には「井口古今堂」をはじめ腕利きの表具師を抱えた大店が軒を連ね、住友家をはじめとした富裕層が格式ある座敷を誂えていました。山崎商店は井口古今堂に由来するからかみのデザインを一部受け継いでおり、なかには天皇陛下の天覧に供した屏風に使われたという来歴を持つものもあります。

担い手が減る中、工房を守る
大正から昭和初期にかけて、からかみはお屋敷の和室・寺院の本堂・茶道の茶室など、格式ある空間の襖に広く使われていました。当時の京都にはからかみ専門の工房が十数件あったといいます。それが今、見本帳を出して営業している工房は京都でわずか数軒にまで減っています。
「からかみという言葉自体、知らない方の方がずっと多い。知ってもらわないことには認知してもらえない」
1976年の創業以来、表具材料の卸業を営んできた山崎商店。山﨑さんの代にからかみ制作へ踏み込んだのは、取引先だった表具師たちから「なんとかならないか」という声が上がったことがきっかけでした。版木を一枚も持たないところから始め、現在は200種を超えるデザインを揃えるまでになりました。
海外のブランドが取り上げる、という驚き
Tuissからコラボレーションのオファーが届いたとき、山﨑さんは「どういう会社さんでどんな規模でされてんのかとか全然わかってなかった」と振り返ります。
「(山崎商店は)後発のほうやし、よくお声がけに来はって、という感じでした。ただ、こうやってお声がけいただいたことは、とっても嬉しかったです」
からかみという日本の伝統工芸を、海外発のブランドが取り上げ、世界に向けて発信しようとしてくれている。その事実が、山﨑さんにとって何より力強いものであったようです。
